日産 プレーリー

プレーリー
プレーリーは日産自動車が販売していたワゴン型のミニバン。設計、開発の一部と生産は日産車体が担当していた。
車名が変更され、リバティとなるが、近隣諸国への輸出も多く、それらのネーミングは「プレーリー」のままであった。
1982年8月 初代プレーリーM10型発売。
当時、荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点で開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めていた旧プリンス出身の伊藤修令であった。
当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けだった。
1998年11月 M12型にモデルチェンジ、車名を「プレーリーリバティ」へと改称。
2001年5月 マイナーチェンジに伴い車名から「プレーリー」が消滅し、「リバティ」に変更。
2004年12月 後継のラフェスタが登場し、国内向けが生産終了。
プレーリーは日産自動車が販売していたワゴン型のミニバン。設計、開発の一部と生産は日産車体が担当していた。
車名が変更され、リバティとなるが、近隣諸国への輸出も多く、それらのネーミングは「プレーリー」のままであった。
1982年8月 初代プレーリーM10型発売。
当時、荻窪にあった旧・プリンス自動車の開発拠点で開発された車種であり、開発主管は初代マーチ(K10型)、レパード(F31型)、ローレル(C32型)、スカイラインR31(7th)・R32型の開発主管を務めていた旧プリンス出身の伊藤修令であった。
当時はミニバンというジャンルが存在しておらず、デビュー時のキャッチコピーも「びっくり BOXY SEDAN」と、新しいタイプのセダンという位置付けだった。
1998年11月 M12型にモデルチェンジ、車名を「プレーリーリバティ」へと改称。
2001年5月 マイナーチェンジに伴い車名から「プレーリー」が消滅し、「リバティ」に変更。
2004年12月 後継のラフェスタが登場し、国内向けが生産終了。
一般的なプレーリーのスペック
| 乗車定員 | 7 | 総排気量 | 1973~2388 | 金額 | 138.1万円~262.4万円 |
|---|
プレーリーの代表スペック(グレード:2.4 240G7 アテーサ ビビッド 4WD)
| トランスミッション | フロア4AT | 総排気量 | 2388 |
|---|---|---|---|
| 乗車定員 | 7 | 全長×全幅×全高 | 4405×1690×1690 |
| 最大出力(PS) | 140ps | 駆動方式 | 4WD |
| 発売年月 | 1994年9月~1994年9月 | 金額 | 239.5万円 |
| ボディタイプ | ミニバン | 販売終了 | 1994年9月 |
| 備考 | - |
